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小径と風景

棚田のあぜ道で、土地の人と交わした言葉

2026年5月22日 · 約3分で読めます

TL;DR

  • 棚田のあぜ道で、土地の人と交わした言葉をたどる対話形式の記事。
  • 棚田は、傾斜地で水を分け合うために人の手で作られた地形だ。
  • 能登の里山里海は、世界農業遺産に認定されている。
  • 景観の美しさの裏に、維持し続ける労力がある。

あぜ道は、人ひとりがやっと通れる幅だった。片側は刈り取り前の稲、もう片側は段差になって下の田へ落ちている。すれ違った年配の人が、軽く会釈をしてから足を止めた。「どこから来なさった」。そんな問いから、短い会話が始まった。

水を分けるかたち

——この段々は、いつごろからあるんですか。
「先のことは分からんけど、わしの祖父さんの代にはもうこの形やった」。
——きれいですね、と言いかけて、言葉を飲み込んだ。きれい、という感想が、この場所に対して軽すぎる気がしたからだ。

棚田は、傾斜地で稲を育てるために、水を一枚ずつ下へ分けていく仕組みだ。農林水産省の里山保全に関する資料でも、棚田は水源涵養や生き物の生息地としての働きが指摘されている。能登の里山里海は、国際連合食糧農業機関の世界農業遺産に認定された地域として知られる。ただし認定は、景観を保証するものではない。

維持するという労働

——続けるのは大変ですか。
「あぜの草刈りだけで、夏は何日もかかる。やめた田は、二年で藪になる」。
その言葉は、写真で見る棚田の整った姿とは別の現実を指していた。あぜが崩れれば水が抜け、下の田にも影響が出る。一枚の放棄が、連鎖していく。

環境省のSATOYAMAイニシアティブのような取り組みは、こうした人の手が入った自然の価値を国際的に共有しようとするものだ。一方で、現場で草を刈る人の数は減り続けている。理念と労働力のあいだには、簡単には埋まらない距離がある。

美しさの出どころ

会話の最後に、その人はこう言った。「見る分にはええけどな」。半分は冗談、半分は本音だっただろう。私たちが景観として消費する美しさは、誰かが毎年あぜを刈り続けることで保たれている。季節の食べ物を口にするとき、その背後にある手間を思い出すのと、同じことだ。

あぜ道を下りながら、美しいという言葉をもう一度考えた。整えられた棚田は確かに美しいが、その美しさは自然そのものではなく、人の労働の結果だ。維持されなくなれば、藪に戻る。だとすれば、景観を守るという話は、結局のところ誰がその労働を担うのかという問いに行き着く。手つかずに見える森でさえ、多くは人の関与の上に成り立っている。自然と人の境目は、思っているより曖昧だ。

参考

  • 農林水産省「中山間地域等・棚田の保全」に関する資料
  • 環境省「SATOYAMAイニシアティブ」の解説
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