買い替える暮らしと、手入れする暮らし
TL;DR
- 買い替える暮らしと手入れする暮らしを対比した記事。
- 金継ぎは、割れた器を漆で直し、継ぎ目を景色として扱う技法だ。
- 修理には費用も手間もかかり、必ずしも合理的とは限らない。
- それでも直すことには、所有のあり方を変える働きがある。
気に入っていた飯碗を、流しで欠けさせてしまった。縁が小さく割れただけだが、口当たりが悪い。捨てて買い直すか、直すか。同じものはもう売っていない。迷ったすえ、金継ぎを試してみることにした。
二つの暮らし方
買い替える暮らしは、速くて分かりやすい。壊れたら新しいものに替える。安く手に入る道具なら、その方が合理的でもある。一方、手入れする暮らしは遅い。直すには技術も道具も時間もいる。費用だけ見れば、買い直した方が安いことも多い。
だから、手入れがつねに正しいわけではない。何でも直せばいいという話ではないし、修理を美徳として押しつけるのも違う。ただ、すべてを買い替えで済ませていると、道具との関係はどんどん希薄になる。壊れること自体が、関係を見直す機会になりうる。
継ぎ目を景色にする
金継ぎは、割れたり欠けたりした器を漆で接ぎ、その継ぎ目を金などで装飾する技法だ。文化庁の伝統工芸に関する資料でも触れられるように、漆を使った修復は古くから行われてきた。室町期の茶の湯の文化のなかで、継ぎ目をあえて見せる美意識が育ったとされる。
欠けを隠すのではなく、景色として残す。この発想は、傷を失敗とみなす考え方とは正反対だ。直した跡が、その器の履歴になる。畳を表替えしながら使うのと同じで、ものの寿命を「壊れるまで」ではなく「直し続けるかぎり」と捉え直している。
所有のかたち
実際に金継ぎをしてみると、想像以上に手間がかかった。漆は乾くのに時間がいり、何度も塗り重ねる。一週間以上かけて、ようやく縁がなめらかになった。その間、毎日のように器の様子を見た。手をかけた分だけ、その碗への愛着は明らかに増していた。
買い替える暮らしと手入れする暮らしは、優劣ではなく時間と費用の配分の違いだ。速く安く済ませたいときは買い替えればいいし、長く付き合いたいものは直せばいい。問題は、選択肢のうち「直す」がいつのまにか消えてしまっていることだ。欠けた碗を前に立ち止まったあの数分が、所有という言葉の意味を少し変えた。引き算の食と同じく、増やすより手元のものを生かす発想が、暮らしには要る。
参考
- 文化庁「伝統工芸・漆工」に関する資料
- 金継ぎと茶の湯の歴史に関する公開資料

